今日は感情について解説します。特にマイナスの感情です。例えば身内の不幸があったとき、家族が大病を患ったり事故に遭ったとき、患者さんが不幸な結果になったとき。夫婦関係がうまく行っていない、あるいは離婚したとき。子供が問題を起こしたとき。あなたは、どうやって感情を処理していますか?
Episode 12で、Katrina先生自身の第2子の死産の体験を語っています。長男は自然妊娠で、2人目を計画したときに原因不明の不妊が続いたそうです。数年間周りには言わず、密かに不妊治療を続けて、体外受精でようやく妊娠できました。妊娠6週で卵巣捻転を起こし、緊急手術で妊娠継続し、卵巣も失わずに済みましたがその後の妊娠経過は順調でした。予定日はちょうど連休に重なっていて、連休明けに陣痛誘発の予約をしておいたそうです。実際には連休最終日、予定日よりは9日超過して陣痛が始まり病院へ行きました。
しかし、胎児心拍が確認できなかった。
その時の感情は、「初めての、本当の深い悲しみ」と表現しています。
硬膜外麻酔をしてもらいながら、頭の中に浮かんだことは、お母さんとして、4歳の長男にはなんと言おうか。小児科医として、毎日赤ちゃんや妊婦さんを相手にする仕事に戻るなら、なんとかしないと。
その後はお墓を決めて、墓石も選んで、お葬式をして、退院2日後には心理療法に通い始めました。
子供の死に関する本も読みまくりました。友達もみんないろんな方法で慰めてくれて、本当にありがたかったと言います。抱っこする赤ちゃんがいないのに、産後間もない体型や母乳でパンパンに張った胸のせいで、マタニティ服を毎朝着るのは、辛かったそうです。だからなおさら痩せるために運動を頑張った。そして毎日数時間、長男の子守を頼んで、悲しみと向き合う時間を作ったそうです。
悲しみから逃げたり、抵抗して前に進む道を選べば、きっと激太りするか、離婚するか、何かよくない結果になると直感的に思ったそうです。ライフコーチになった現在では、悲しみと向き合うことは、避けては通れない過程だと理解を深めたそうです。
「悲しみは、辛抱強く、いつまでも待っている」
悲しみ以外でも、すごく苦しかったり、嫌な感情が湧いてきた時、気分を落ち着けるために食べ物に手が伸びる人は多いと思います。
患者さんやその家族は、状況が悪化したとき、我々医療提供者に頼るしかありません。一緒に慌てたり、悲しんでいる暇はなくて、自分だけはしっかりしないといけない。悪いニュースを伝えたり、言いにくいことをいう役割は、最後は医師に回ってきます。感情を押し殺して(年々それは無意識にやるようになりますが)役割を果たしているのです。医師じゃなくたって、仕事というのは自分の感情を押し殺して役割を果たす場面が多々あると思います。でも私たち自身も、その押し殺した感情にきちんと向き合わないと、知らず知らずのうちに弊害が出ているのです。
大前提として、マイナスの感情は、あって当然なものだと認識しましょう。マイナスの感情があるからこそ、比較対象として、喜びが生まれるのではないでしょうか。先日5歳の長男がずっとずっと好きなおもちゃで遊びたい、と言っていました。でも本当にずっと遊び続けたら、きっと楽しくなくなりますよね。時々しか遊ばないからこそ、遊んだ時に楽しいと思うし、また遊びたいと思うのではないでしょうか。長男にわかる言葉で説明してみましたが、ピンときていなかったようです(笑)。
マイナスの感情と、プラスの感情は、ざっくり、半々です。と言っても、深い悲しみと幸せが半々という意味ではなく、例えばマイナスには「つまらない」とか「暇」とか「パッとしない」も含まれます。
それに、意図的にマイナスの感情を選ぶ時もあります。例えば大切な人との別れを悼むとき、悲しむ時間も大切ですよね。
私たちは、小さい頃から何かというと「幸せ」を掴むことが人生の目的のように教え込まれます。感情の「半々説」に抵抗を感じた人は「いつも幸せであることが、あるべき姿」、どこかで無意識にそう思っていませんか?そういう意識があると、マイナスな感情が起こったときに、潜在的に「これじゃいけない」と思って、それを誤魔化したり消そうとして、食べ物に手が伸びたりしやすいのです。食べ物に手が伸びない人は、それがタバコだったり、お酒だったり、仕事、SNS、ショッピング、ゲーム、薬物、ギャンブル、ポルノなど、何かしらの習慣があると思います。ちなみに私のトップ3は食べ物とSNSと携帯ゲームです。
Katrinaの例に見た深い悲しみもそうですが、強烈なマイナス感情が湧くと、どうにかなってしまう、死んじゃうんじゃないかと感じる時もあるかもしれません。でも、感情とはそもそも、脳から放出された化学的な信号によって引き起こされる身体的反応です。そして、以前解説したようにその誘因は考え、思考です。
この身体的な反応(感情)は、抵抗せずに、感じ続けると、数分で消えるのです。
ビーチボールを水面下に抑えるのを想像してみてください。かなり労力が必要ですね。これは感情に抵抗することと似ています。逆に、抵抗せずに感情を感じる作業は、ボールをただ水面に浮かばせておくようなイメージです。
Katrinaにとって自分の赤ちゃんが死亡した、というのは中立的な状況です。その状況に対して脳に浮かぶ考えによって、深い悲しみが生まれるのです。こうすれば死なずに済んだかもしれないとか、死ぬべきじゃなかったといった考えかもしれません。でもこういう考えは、現実に抵抗することだから、苦しみしか生まない。
Katrinaは娘の死後、人生が良くなったとは言わないけど、人間として確実に成長したと言っています。子供を当然のものと思わなくなって子育てがもっと意識的になった。友人や家族をもっと大切にできるようになった。深い悲しみの中ある人がいれば、自分から寄り添っていけるようになった。わかるから。何年もかけて、悲しみと向き合い続けて、現在では、こうなるべくしてなったんだ、と思えるようになったそうです。そうして後悔の気持ちではなくて、娘のことを心の中で大切に思い続けることができるということです。
日本では感情、特にマイナスの感情をあまり見せないことが美徳とされます。職業的にも知らず知らずのうちに感情を押し殺すのが上手になっているかもしれません。でも、押し殺した感情は消えているわけではありません。感情を無理やり抑制することによって、食べ過ぎたり、望んでいない結果になっていませんか?
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