2021/12/25

夫に苛立つ💢

夫に限らず、身近な人の言動に苛立つことはありますか?

たとえば、夫が帰ってくると言った時間に帰ってこなかったために、夕飯や、その後の諸々のスケジュールが狂ってしまった時。「間に合わないならあてにしないから、帰ってくるって言わないで!」と苛立つ。毎朝毎朝、子供が時間ギリギリになっても出かける支度ができていなくて、急かしている時。「何百回と言っているのに、いつになったら自分でできるようになるの!」とキレてしまう。


苛立つ理由は夫や子供にあるのではありません。怒りの理由は、必ず、自分の考えにあります。

そもそも、非常に残念なことに、自分以外の人間の感情や行動をコントロールすることはできません。自分の子供であれば、一定のルールを定めて徹底させることは可能ですし、社会的に必要とされるマナーを教えるのは重要なことといえるでしょう。でも、たとえば子供が嫌な顔をするだとか、行動が遅い、という部分はコントロールできません。相手が大人であれば、何かを頼むことはできても、強制的にやらせることは現実的ではありません。ましてや相手の感情を操作することもできません。相手の行動は基本的には変えられない、という前提で、じゃあどうやってイラつかずに済むか、考えてみましょう。


夫はなぜ守れない可能性のある約束をするのか、夫の立場になって想像してみます。夫も、約束の時間に帰るつもりはあるからこそ、そう連絡をしてきたのでしょう。でも、おそらく同僚に話しかけられただとか、予期していなかった事態となり、気が付いたら遅れてしまっていた。私にとっては、帰宅時間は出勤時間と同じくらい厳格なものです。その背景には、保育園へ迎えに行く時間や、家族のための夕飯を準備する時間など、間接的に影響を受ける事案があるからです。しかし、夫にとっての帰宅時間は、家族と顔を合わせたり夕飯を食べるタイミングが少しずれるだけのことかもしれません。それよりも、仕事仲間とのコミュニケーションを大切にして、「プライベートを優先させる人」というレッテルを貼られずに済む、ということの方がよっぽど重要なのかもしれません。あくまで想像ですが。


子供が毎朝準備に時間がかかる理由も、想像してみます。5歳の保育園児にとって、遅刻やその代償というものは、はっきり言って別世界の概念です。私は折を見て、仕事に遅刻できない理由を子供がわかりやすいように説明するようにはしていますが、子供はなんとなく理解はできても、それを自分の問題として瞬時に行動に移すことは、そりゃできなくて当然かもしれません。「お母さんが怖いからやる」なら結果は出せるかもしれませんが、お母さんがいなくなった時に続ける理由がなくなってしまうかもしれません。


こうやって冷静に考えれば夫や子供の立場を頭では理解できます。しかし、その瞬間瞬間で苛立ってしまうのはなぜなんでしょう。苛立ちや怒りという感情は実は、それとは別の感情、脳が普段から無意識に避けている感情を回避するための逃げ口だと言います。たとえば


「あと何千回、何万回、子供を急かすという作業を続けないといけないのか。このまま将来遅刻魔に成長するんじゃないか」という焦りや落胆。

「言うことをきかないのは、私のことを軽んじているからなんじゃないのか」という失望。

「子供を言い訳に仕事に遅刻することは許されない、遅刻したら私がダメな社会人ということだ」という自己叱責。

「夫が何かにつけて仕事を優先させるのは、私や家族を大事に思っていないからじゃないのか」という傷つきや悲しみ。


根っこに隠れているのは、こんな考えかもしれません。でも、落胆とか失望とか悲しみって、あまりにも重たい感情だから、沸き起こって苦しくなる前に、脳が勝手に怒りという「まだマシ」な感情にすり替えてしまいがちなんです。


イライラやぶちギレを減らすためには、まずそのことに気がつくのが大きな第一歩です。

それと同じくらい大事なのが、イライラした自分を責めないことです。そりゃ怒らないで済むならそうした方が後悔しないでしょうが、起きたことは起きたこととして、きちんと解析して次に活かすことは役立ちますが、自分を責めることは無益です。そうすることで徐々にイライラの直後や最中に気づけるようになり、次第に「怒鳴る」とかいった反射的な行動を未然に防げるようになります。

2021/12/18

こどもの熱

 冬に入り、子供が連続して熱を出し疲弊気味の今日この頃です。

普段からギリギリで回しているワンオペは、こういうイレギュラーに弱いんですよね・・・


保育園で37.5度以上の熱が出るとすぐに連絡が入り、お迎えに来るよう言われます。

この時点で頭の中はネガティブ思考になりがちです。日本語に「風邪引かすな」という表現があるように、子供の体調不良はまるで母親の責任のような風潮があります。お父さんに向かって「風邪引かすな」って言いますかね?


親として、子供が感染症に罹患するリスクを減らすことが不可能とまでは言いません。手洗いの頻度を上げたり、手に口を入れようとしたらやめさせる、とか。でも現実的は、2歳の子供なんてしょっちゅう転んで地面に手をついたり、階段や段差を登るのも手を使うし、とにかくあちこち手で触ります。同時にしょっちゅう口に手が入ったり顔を触るから、大人の感覚で感染対策を徹底させるのは無理。ましてや保育園という集団生活では病原菌にさらされる機会は増え、体に入るのを予防するというよりは本人の免疫力で発症を防いでくれるのを願うだけ。免疫力の強さは年齢や個人差も大きいのですから、風邪を引くことが母親の責任であるはずがありません。逆に、保育園で様々な菌をもらってくることは、免疫を育てるために集中的に鍛えてもらっている、という考え方さえできます。


・・・と、頭ではわかっていても、子供が熱を出すと心配だし、どこかで責任を感じてしまいます。

「昨日お風呂の後、パジャマ着させるのが少し遅かったかな?そういえばクシャミしてた」とか、

「夜中に蹴飛ばした布団をもっとちゃんとかけ直してあげるべきだったかな」とか。


この場合のネガティブ思考は、我が子を守ろうとする脳の原始的な部分が、将来また同じような事態にならないよう、警報を鳴らして注意させようとしている、自然な反応なのです。そのことを認識できれば、意識的に警報のボリュームを下げて、反省すべき点があるのなら参考にして、過剰に自分を責めずに前に進むことができます。具体的には、減点方式じゃなくて、加点方式で考えてみて、母親としてちゃんとできていたことに目を向けてみるといいかもしれません。たとえば「帰宅時に手を洗うのは忘れなかった」「私なりに栄養を考えて夕飯を用意した」「嫌がったけど、ちゃんとお風呂に入れて体を温めた」。

親友が、子供が熱を出して大変、と愚痴っていたら、どんな声をかけてあげるか考えて、同じ言葉を自分にかけてあげてください。「そんな大変な中で◯◯できていたんだから、エライ!」と


保育園からの電話では、迎えに行ける時間を聞かれるので、とりあえず予想で伝えます。保育園はリスク管理の点から早く来るよう言ってきますが、それでちょっと焦ったり罪悪感を感じてしまう私も、実は損をしています。普段からシミュレーションして、たとえば事務作業と移動を合わせてほとんどの場合40分以内で可能なら「なるべく急ぎますけど、遅くて40分後になります」と返答を決めておけば、電話口のストレスは減るしその後も焦らずに済みます。その後努力したにも関わらず仮に少し遅れそうになったなら、道中その旨を電話連絡してもいいんです。


電話を切ったら、早退することを関係部署に伝え、急ぎの仕事と引き継ぎを済ませます。私の現在の職場は、タイムカードで厳格に管理されている反面、看護休暇制度などが充実しているため、手続きさえ踏めばすんなり早退できますし、それが当たり前という風潮があります。でも以前の職場は男性ばかりだったこともあり、有給や看護休暇を使う人はおらず(そもそも存在していたかも不明)、直接の上司にだけ断って、申し訳ない気持ちで目立たないように帰っていました。絶対に穴を開けられない日、手術執刀の日などは、前日から実家の母を呼び寄せておいたり、何重にもバックアップを用意して対応していました。


子供と過ごす時間が増えますが、普段よりグズって手がかかります。そもそも病気の子供の眠りは浅いことが多いために、自分も寝不足になります。うちの保育園は、お迎えの後も頼めば兄弟の保育は継続してくれるので、病気の子供にケアを集中できますが、それでも看病疲れは出てしまいます。


出勤するためには病児保育室に預ける必要があるので、保育枠を探し、病院を受診、診断書を取得。コロナ禍ではPCR陰性を要求する病児保育もあり、手続きは本当に煩雑です。感染症の場合は保育園に復帰するための登園届けという診断書が必要なので、複数回の受診が必要になります。おばあちゃんに預けるという人も、また少し違うところで色々と気を遣うこともあるでしょう。


こんなふうに、保護者にとってこどもが熱を出すということは、物理的にも精神的にも疲労を引き起こす原因になります。私はこういう時、体力も気力も消耗しきって、甘いものに気持ちが行きやすくなります。普段は事前に食事を計画してその通りに食べていますが、こういう時は計画自体が面倒になってしまいます。年に2,3回なら、こんな気分を優先させた食生活でも影響はほとんどないでしょう。しかし頻繁になると、減量あるいは体重維持の妨げになることは避けられません。そこで、こういうイレギュラーでさえも予定に組んでおくという方法があります。たとえば私なら、病児保育に預けた日の夕飯は、迎えに行ったその足で◯◯に寄ってXXを買う、といったバックアッププランをいくつか用意しています。


こうやって、子供が熱を出したという原始脳優位になりがちな状況でも、あらかじめ理性で選択した時の自分を尊重できるんです。

2021/12/04

ストレス喰いを減らす

今日は感情について解説します。特にマイナスの感情です。例えば身内の不幸があったとき、家族が大病を患ったり事故に遭ったとき、患者さんが不幸な結果になったとき。夫婦関係がうまく行っていない、あるいは離婚したとき。子供が問題を起こしたとき。あなたは、どうやって感情を処理していますか?

Episode 12で、Katrina先生自身の第2子の死産の体験を語っています。長男は自然妊娠で、2人目を計画したときに原因不明の不妊が続いたそうです。数年間周りには言わず、密かに不妊治療を続けて、体外受精でようやく妊娠できました。妊娠6週で卵巣捻転を起こし、緊急手術で妊娠継続し、卵巣も失わずに済みましたがその後の妊娠経過は順調でした。予定日はちょうど連休に重なっていて、連休明けに陣痛誘発の予約をしておいたそうです。実際には連休最終日、予定日よりは9日超過して陣痛が始まり病院へ行きました。

しかし、胎児心拍が確認できなかった。

その時の感情は、「初めての、本当の深い悲しみ」と表現しています。

硬膜外麻酔をしてもらいながら、頭の中に浮かんだことは、お母さんとして、4歳の長男にはなんと言おうか。小児科医として、毎日赤ちゃんや妊婦さんを相手にする仕事に戻るなら、なんとかしないと。


その後はお墓を決めて、墓石も選んで、お葬式をして、退院2日後には心理療法に通い始めました。

子供の死に関する本も読みまくりました。友達もみんないろんな方法で慰めてくれて、本当にありがたかったと言います。抱っこする赤ちゃんがいないのに、産後間もない体型や母乳でパンパンに張った胸のせいで、マタニティ服を毎朝着るのは、辛かったそうです。だからなおさら痩せるために運動を頑張った。そして毎日数時間、長男の子守を頼んで、悲しみと向き合う時間を作ったそうです。


悲しみから逃げたり、抵抗して前に進む道を選べば、きっと激太りするか、離婚するか、何かよくない結果になると直感的に思ったそうです。ライフコーチになった現在では、悲しみと向き合うことは、避けては通れない過程だと理解を深めたそうです。


「悲しみは、辛抱強く、いつまでも待っている」


悲しみ以外でも、すごく苦しかったり、嫌な感情が湧いてきた時、気分を落ち着けるために食べ物に手が伸びる人は多いと思います。


患者さんやその家族は、状況が悪化したとき、我々医療提供者に頼るしかありません。一緒に慌てたり、悲しんでいる暇はなくて、自分だけはしっかりしないといけない。悪いニュースを伝えたり、言いにくいことをいう役割は、最後は医師に回ってきます。感情を押し殺して(年々それは無意識にやるようになりますが)役割を果たしているのです。医師じゃなくたって、仕事というのは自分の感情を押し殺して役割を果たす場面が多々あると思います。でも私たち自身も、その押し殺した感情にきちんと向き合わないと、知らず知らずのうちに弊害が出ているのです。


大前提として、マイナスの感情は、あって当然なものだと認識しましょう。マイナスの感情があるからこそ、比較対象として、喜びが生まれるのではないでしょうか。先日5歳の長男がずっとずっと好きなおもちゃで遊びたい、と言っていました。でも本当にずっと遊び続けたら、きっと楽しくなくなりますよね。時々しか遊ばないからこそ、遊んだ時に楽しいと思うし、また遊びたいと思うのではないでしょうか。長男にわかる言葉で説明してみましたが、ピンときていなかったようです(笑)。


マイナスの感情と、プラスの感情は、ざっくり、半々です。と言っても、深い悲しみと幸せが半々という意味ではなく、例えばマイナスには「つまらない」とか「暇」とか「パッとしない」も含まれます。

それに、意図的にマイナスの感情を選ぶ時もあります。例えば大切な人との別れを悼むとき、悲しむ時間も大切ですよね。


私たちは、小さい頃から何かというと「幸せ」を掴むことが人生の目的のように教え込まれます。感情の「半々説」に抵抗を感じた人は「いつも幸せであることが、あるべき姿」、どこかで無意識にそう思っていませんか?そういう意識があると、マイナスな感情が起こったときに、潜在的に「これじゃいけない」と思って、それを誤魔化したり消そうとして、食べ物に手が伸びたりしやすいのです。食べ物に手が伸びない人は、それがタバコだったり、お酒だったり、仕事、SNS、ショッピング、ゲーム、薬物、ギャンブル、ポルノなど、何かしらの習慣があると思います。ちなみに私のトップ3は食べ物とSNSと携帯ゲームです。


Katrinaの例に見た深い悲しみもそうですが、強烈なマイナス感情が湧くと、どうにかなってしまう、死んじゃうんじゃないかと感じる時もあるかもしれません。でも、感情とはそもそも、脳から放出された化学的な信号によって引き起こされる身体的反応です。そして、以前解説したようにその誘因は考え、思考です。

この身体的な反応(感情)は、抵抗せずに、感じ続けると、数分で消えるのです。


ビーチボールを水面下に抑えるのを想像してみてください。かなり労力が必要ですね。これは感情に抵抗することと似ています。逆に、抵抗せずに感情を感じる作業は、ボールをただ水面に浮かばせておくようなイメージです。


Katrinaにとって自分の赤ちゃんが死亡した、というのは中立的な状況です。その状況に対して脳に浮かぶ考えによって、深い悲しみが生まれるのです。こうすれば死なずに済んだかもしれないとか、死ぬべきじゃなかったといった考えかもしれません。でもこういう考えは、現実に抵抗することだから、苦しみしか生まない。


Katrinaは娘の死後、人生が良くなったとは言わないけど、人間として確実に成長したと言っています。子供を当然のものと思わなくなって子育てがもっと意識的になった。友人や家族をもっと大切にできるようになった。深い悲しみの中ある人がいれば、自分から寄り添っていけるようになった。わかるから。何年もかけて、悲しみと向き合い続けて、現在では、こうなるべくしてなったんだ、と思えるようになったそうです。そうして後悔の気持ちではなくて、娘のことを心の中で大切に思い続けることができるということです。


日本では感情、特にマイナスの感情をあまり見せないことが美徳とされます。職業的にも知らず知らずのうちに感情を押し殺すのが上手になっているかもしれません。でも、押し殺した感情は消えているわけではありません。感情を無理やり抑制することによって、食べ過ぎたり、望んでいない結果になっていませんか?

体調不良のとき

こどもが集団生活で感染症を持ち帰ることは日常茶飯事ですが、親もそれをもらってしまうことだってあります。いくら感染予防の知識があっても、きちんと実践するだけの余裕がなかったり、添い寝していれば、夜中知らない間に顔が急接近していたり・・・あるいはホルモンバランス、加齢にまつわる様々な...