こどもが集団生活で感染症を持ち帰ることは日常茶飯事ですが、親もそれをもらってしまうことだってあります。いくら感染予防の知識があっても、きちんと実践するだけの余裕がなかったり、添い寝していれば、夜中知らない間に顔が急接近していたり・・・あるいはホルモンバランス、加齢にまつわる様々な不調、もともとの持病など、大人になっても体調不良を起こすことは、当然といえば当然です。
でもそんな時にも子供たちは待ったなしです。親子で一緒に体調を崩していたら尚更です。身近に助けてくれる人がいればいいですが、自分の親は高齢化していてむしろ頼むのが心配だったり、そもそも体調不良はほとんど前触れなく訪れるから、急に頼るのが難しいことだってあります。
そういう時、私は不幸のスパイラルに陥ってしまうことが度々あります。しんどいけど一人で頑張らないといけない状況で、体が辛いので心の余裕もなくなり、子供に色々要求されるといつも以上に短気になってしまいます。そこで子供にあたってしまい、ますます自己嫌悪に陥り、すぐに頼れる人がいない自分の状況(本気で探せばいるのでしょうが、もう不幸モードなのでその発想は出てきません)を呪います。こうなると私も子供もみんなお通夜みたいな表情です。
思考モデル(なにそれ?という方は「コーチング」の記事をご参照ください)に当てはめてみると
C事実: 自分の体調不良
T思考: しんどいのに誰にも助けてもらえない
F感情: self-pity私って不幸
A行動: どれだけ体調が悪いか、症状を再確認する。
いつもと変わらない子供の要求も、自分を不幸にするための嫌がらせに聞こえる
子供の要求には応えず自分でやるように冷たく言い放つ。
今現在助けの手を差し伸べてくれていない身近な人の顔を思い浮かべ(主に夫)、過去にも不在で助けにならなかった時を思い出し、心の中で恨みを増幅させる。
助けてくれそうな人を探すといった、建設的なことはしない。
子供が助けの手を差し伸べようとしてくれていることにも気づかず、孤立する。
R結果: 周りの援助を自分から拒絶している
この思考回路ではいい結果はなかなか生まれませんよね。
ところで、こういう自分って可哀想と思ってしまうself-pityというのは、ストレスに対する一種の適応、positive intelligence でいうvictim被害者というsaboteur妨害者なのです。幼少期に何らかの理由で親や、周りの大人からの愛情が不足したように感じたとします。実際に身体的、精神的虐待などの場合もありますが、幸せな家庭で育っていても、例えば弟妹の出生や、学校での人間関係でそう感じることだってあります。その時に、self-pityで少しは気持ちが癒されることに気がつき、次第にパターン化して行ったものだそうです。周りにいませんか?なにかと不幸を自慢したがる人。
この反応が良いとか悪いとかではなく、幼少期には心の健康を保つためにそれなりに役に立ったパターンなのです。しかし、理性の発達した大人ならば、もっと建設的な思考パターンがあるのも事実です。pity憐れむではなく、自分をちゃんとみとめる、評価するということです。
先ほどと同じ状況で、代わりとなる、もっと建設的な考えにすり替えます。
C事実: 自分の体調不良
T思考: たまには休めっていうことかな
F感情: 優しさ
A行動: どうやったら回復するか考え、体を温める、薬を飲むなどの行動に移す。
子供には、自分の体調と、いまできること、できないことを説明する。必要なら繰り返し話し合う。
必要最低限やらないといけないことだけ考え、子供と協力して済ませる。
家事や、日課が多少できなくても、自分を追い詰めない。
助けてくれそうな人にあたってみる。
R結果 身も心も休息を得られる
といった感じでしょうか。
長年慣れ親しんだ思考パターンですから、建設的な考えにすり替えるのは、一朝一夕とはいきません。そこで
私は、体調不良の時には思考力も落ちることを踏まえて、体調不良プロトコールというものを作って、いざという時に見れるよう洗面鏡の扉の内側に張り出しています。目に入りやすい方がいいけど、毎日何度も見るところだと風景になっちゃって見るのを忘れるかな、というのと、来客に見られるとちょっと恥ずかしいので笑。張り紙はちょっと、という人は手帳にメモするのでも構わないと思います。「最低限やらないといけないこと」や、自分の思考パターンに先回りしていい方向へ誘導するような標語を書いています。
「まず必要な薬を飲む」
「たまには子供のご飯もコンビニでもOK。絶対喜ぶし」
「保育園の準備が不十分でも、園で何とかしてくれるから大丈夫」
「お風呂で体を温める」
「でも、しんどすぎたら、1日くらいお風呂に入らなくても死なない」
などです。
頭痛がひどくて頭が働かない時などに、このプロトコールを見る、という作業だけ思い出すことができれば、悲観的になる前に、そうそう、そうだった、と行動に結びつけることができます。同じ手法をダイエットに応用すると、例えば生理前に食べ過ぎて太りやすいとか、生理中は偏食になる、とか、特定の体調で食事のパターンが変化する人は、自分の食事パターンを把握した上で、生理にまつわるプロトコールを考えるのもおすすめです。
前例の「不幸スパイラル」に限らず、慣れ親しんだ思考パターンというのは、特定の神経回路が強化されていると考えると、その都度行動を修正して神経回路の使用頻度が下がれば、神経のつながりもだんだんと弱まり、いずれはそこから脱却することも可能です。習癖を治すのと同じで、繰り返しの努力は必要ですが、決して不可能ではないということです。そもそも癖になっているということは、自分にとってその行動に何らかのメリットがあるわけで、あえてデメリットに目を向けたり、新しい習慣に変えることのメリットを繰り返し意識しなければ、卒業するのは困難でしょう。頑張っている途中で昔の癖が出てしまうことも、当然のことであって恥ずべきことでもないし、それまでの努力が無になるわけでもありません。そういうときは「あ、間違えた、今はこう考えるだった」と軌道修正すればそれで済むことです。
体調が悪い時は、精神的にも弱ってしまうことは誰だってあります。気合いで乗り切るだけではなく、自分を適切に労わることで、周りにも良い影響を与えられそうです。緊急時の酸素マスクは、まず自分が装着してから子供のを装着する、という原則は、精神的ストレスにも言えるこで、自分に優しくできないと、人に優しくする余裕がなくなります。自分を労ることは、周りを労わることでもあると思って、体調がすぐれないときは無理をし過ぎないでくださいね。