2022/04/01

女性として、日本で生きる

コーチングの関係で、アメリカ人やイギリス人、特に女医さんが多いんですが、そういう人たちと情報交換していて、カルチャーショックとまではいきませんが、日本との違いを感じることが多々あります。その中でも女性に特有の問題を考えてみました。

まずは女性の役割分担です。親世代よりは良くなったんでしょうが、家のことって、なんとなく女性がやっているというのが、日本ではより顕著に思えます。共働き夫婦でも家の仕事は女性が多めにやっていて、その反面男性は外での仕事を長時間やっていたり、収入の上で上回っているんではないでしょうか。例えば医者夫婦で労働時間も収入も同程度でも、家事の分担は完全に平等ではなくて、女性の方がやっているという夫婦もいると思います。女性の社会進出が日本よりも進んでいるアメリカでさえ、それに見合った男性の家庭への進出は進んでいなくて、女性の総労働時間は男性と比較して週平均で20時間多いといいます。


いやいや、うちはちゃんと分担している、という家でも、その内容に注目してみると興味深いです。男女で子育てをしている家庭を例に取ると、女性は例えば兄弟喧嘩の仲裁や泣き叫ぶ子供をチャイルドシートに座らせるとか、ストレスレベルの高い仕事をより多くやって、男性はゴミ出しや食器洗いのようなストレスレベルの低い仕事を分担していることが多いとも言われます。一昔前はご主人がゴミ出ししてたら偉い、くらいの感覚だったかもしれませんが、ゴミの日をきちんと認識して、家中のゴミ箱を把握して、生ごみが臭くなる前にちゃんと処理して、新しいゴミ袋をセットして、一連の作業を継続するのとは雲泥の差です。料理ひとつとっても、家族の食事の担当をすると言うことは、家にある食材や自分のレパートリーから献立を計画し、必要な買い物を済ませ、下ごしらえ、調理、盛り付けまでを含み、毎日ともなると工夫もエネルギーも必要です。私は料理が嫌いなわけではないのですが、2歳の娘がまだ集中して1人で遊ぶことができなくて数分でママを呼びにくるというのもあり、休日に3食作るのはかなりのストレスです。一生懸命考えて作ったご飯を食べてくれないと、なおさら疲れを感じます。


家事を「手伝う」と言う感覚は、例えば専業主婦がいて、夫が少し家事を分担する時に使う表現であって、共働きの場合の家事は「それぞれの持ち分を責任を持ってやる」というのが本来のスタンスかもしれません。


ただし、他人の行動や言動はコントロールできない(例え配偶者でも)ので、例えば妻が「生ゴミが臭くなるのは耐えられないのでごみはきちんと出したい」と思っていて、夫はキッチンに立ち入らないから臭いも大して気にならないのであれば、気になる方がやるべき、ということになります。もちろん、「生ごみが臭くなって困るから、必ず出してね」とお願いすることはできますが、夫が時々忘れてしまっていても、普段から臭いで困っているわけでないのですから仕方がないことなので、こちらも感情的になるべきではないのです。


子育てに関しては、生物学的に女性に傾倒しがちなのは万国共通ですが、男性の育児への参加は諸外国と比べて遅れているという感覚があります。それは、決して夫のせいとかではなくて、職場の理解とか、社会の風土全体として女性がやることが当たり前という感覚が根強いからかもしれません。あるイギリス人の女医さんが、日本人医師の集団(全て男性)を地元の酒場で接待した時に、まだ数ヶ月の子供を連れて行ったらしいんです。その時にちょうど授乳の時間になったので、彼女は授乳ケープで隠しておっぱいをあげながら会話を続けたらしいんですね。なんとなく想像つくとは思うんですが、その日本人男性たちは、かなり戸惑っていたと言います。公共の場で授乳することに不慣れということもあるとは思いますが、そんなに小さい赤ちゃんがいるのに、酒場に来ていること自体に違和感を感じたのでしょう。その違和感を勝手に解釈してみると「小さな赤ちゃんがいる母親は育児に専念しているのが本来の姿」という常識がおそらくあって、そこに感じた違和感だったのかもしれません。


赤ちゃん関連で言うと、別のイギリス人のコーチで、日本に数年住んでいたという方が言っていたんですが、公共の場で赤ちゃんが泣いていることに対して、日本では厳しい目線を感じた、と。欧米の方が高級レストランをはじめ子供が入れないところがたくさんありますし、棲み分けが進んでいるように思います。日本語には「お子様」という表現があるように、接客では子供が大事にされる一方で、泣いている赤ちゃんは許容されにくく、公共の場であればなんとかして泣き止ませるかその場を離れる、という風潮があります。それでも、おむつも変えたしお腹も空いていないし、体調もわかる範囲ではそんなに悪くなさそう、でもグズっているという場合に、周りから向けられる目線が「そんなこともあるよね」という目なのか「親がなんとかしろよ」という目なのかによって、その時に我々の頭の片隅に浮かぶ考えは変わってくると思いますし、親の精神的なストレスは全然違うんじゃないかと思います。


第2に、女性の加齢に対する圧倒的なマイナスイメージです。ある年齢を境目に、加齢とともに女性らしさが失われるかのような感覚です。若見えとか「ツヤ」とか「ハリ」といったキーワードへの執着もその一つの表れだと思います。欧米でももちろん似たような現象があるのはあるんですが、日本では文化的な要因(女性は嫁に行った先の家のやり方に染まれるように、若い方が良いという感覚)も手伝い、より強調されている感じがします。それに伴い男性の態度が一変することも日常的に目の当たりにし、日本人の民度の低さに情けなくなることもあります。もう30年くらい前の話になりますが、私が小学6年生で日本に帰国した時、当時30代後半だった母が、日常でやりとりをする男性、例えばバスの運転手や役所の係員に人として接してもらえていない、自分が透明人間のような感覚を覚え、逆カルチャーショックを受けたそうです。母は背が高く目立つタイプで、若い頃はそれなりにチヤホヤされたようなので、ますますギャップを感じたのかもしれません。老けたらそんな扱いを受けるんだ、とわかっていたら、そりゃ見た目の若さを追求したくなるのかもしれません。


今ならば、私はこんなアドバイスをするでしょう。自分と接する相手の態度というのは、その相手の育ちだとか常識、考えの表れであって、自分の価値とは100%無関係。むしろ、相手の態度に一喜一憂することは、自分の価値の判断をその相手に委ねてしまっている、パワーバランスを自ら相手に与えていることになる。バスの運転手に自分の価値を決めてもらう、それを望んでいるんですか?と。例えば白髪が増えたり、服を脱げば妊娠線があったり、ボディラインが下がっている。それって本当に恥ずかしいことなんでしょうか?親友がそういう悩みを打ち明けてきたとして、その親友の人間としての価値って、そういう外見で下がっちゃうと思いますか?思わないなら、自分にもそのおんなじ価値観を向けてあげることって、回り回って人への優しさにも繋がるから、実はとっても大事なんじゃないかな、と。


第3に、女性(の意見)が軽視される現実です。某オリンピック担当大臣の不祥事も記憶に新しいですが、知り合いの女性で高校教師をやっていた方が、職場の委員会に委員として選出されたので出席してみると、その場での議論はあくまでも形式上のもので、実質的には男性の委員同士で事前に決まっていて、女性メンバーの意見を出せる状況ではなかったと言っていました。私自身は医師という職業柄、比較的対等な立場で接してもらえているんだろうと感じていますが、それでも患者さんやそのご家族との会話で「男の先生だったらこんなこと言わないんだろうな」とか、もう少し話を聞いてもらえるのかもな、と感じたことはあります。同世代でも感じたことはあります。もう10年以上前の医局の同期との出来事ですが、術前のプレゼンテーションの準備で私がノートパソコンに接続コードを挿そうとした時、コードの向きが違うのに気づかずグイグイ押していたんですが(笑)、男性の同期に「これだから女は・・・」と言われ、「女は関係ねーだろ!と」ブチギレたことがありました。残念ながら、まだまだ日本には女性蔑視が蔓延っているのかなー、と思います。男女でものの言い方ややり方が違ったり、女性が男性の前で自分の意見を言うのに慣れていないのだとしたら、それは後天的に躾された結果がほとんどだと思います。実はそれって、男性中心の組織で、男性の都合が良いように出来上がっているものも多いんじゃないでしょうか。男女の生物学的な違いで得意・不得意が生じることもあるかもしれませんが、それが当てはまらない人だっています。社会的な躾の程度というのは個人差も大きいし「女性だから」とか「男性だから」と決めてかかるのは、今の時代、危険なのかもしれません。


男性だけが楽をしていると言っている訳ではなくて、男性には男性特有の問題があるのは当然です。私はコロナによる保育園の休園を三回経験しましたが、毎回、連絡が入った翌日からの代替保育手段を必死になって探すのも、代わりが見つからなかった日は仕方なく仕事を休んで家で子供をみるのも、自動的に私でした。男性の育休問題にも共通しますが、女性が家庭のために仕事を犠牲にすることはある程度仕方がないことと捉えられますが、男性の場合はどうでしょうか。男性が職場に「保育のあてがないから仕事を休む」と伝えれば「嫁さんは?」と聞かれるでしょうし、奥さんが仕事して夫が休むという状況は、ともあれば男性が「やる気がない」とか「キャリアを真剣に考えていない」と捉えられて、その後の人事や昇進に影響してしまう可能性だってあります。他にも、上司に飲みに誘われた時に女性は断りやすいけど男性は断るのが難しい、とか、男性にしかわからない苦労だってたくさんあると思います。


男女平等equalityでさえまだまだなのに、公平equityなんて、私の現役のうちには無理かもなぁと思います。フェミニストで、こう言う状況を打破しようと戦っている人もいますし、自分も微力ながら応援したい気持ちはあります。それと同時に、女性と男性だと社会的な立場も違うし、こういう差って仕方ないんじゃない?と言う意見も、すごく理解できます。コーチングの理論でも状況って変えられるものじゃないですし、決してこういう状況に争うことを勧めているわけではありません。ただ、日常のなんかモヤモヤした気持ちとか、なんでこんなに大変なんだろうっていうストレスとか、その裏には、女性特有の問題を無意識に抱え込んでしまっていることが実はけっこうあるんじゃないかな?と思うんです。


例えば実際に子供が生まれると、生まれる前にはわからなかった苦労が次々と襲ってきます。でもそれは、どこかで「母親が全て解決しないといけない」とか、「立派な大人に育てないといけない」っていう責任を、必要以上に自分に課してしまっているせいで知らずのうちに苦労を増幅しちゃっているからであって、もしその事実に気づけて、少し考え方を柔軟にして、そのプレッシャーを軽くすることができれば気分的にずいぶん楽になると思うんです。


だから、こういう問題を仕方がないことと片付けて自分だけ耐えるのではなくて、自分が苦労しているんだったら、なんで苦労と感じるのか、なにか工夫できることはあるのか、建設的に考えてみるのがおすすめです。自分が耐えることで、その反動で子供にきつく言ってしまったり、夫への愛情が薄れてしまったり、気づかないうちに何か弊害が出ているかもしれません。日本では子供が生まれた後に夫婦関係が冷めるのは仕方がないことのように思われているかもしれませんが、もしかしたら、子育てという夫婦にとっての初めての大きな課題が生じた時に、黙って自分で解決しようとするあまり、夫婦関係が犠牲になっているということって、意外と多いんじゃないかと思います。


そういう夫婦関係が理想なら、そのままでもいいと思います。でも、例えば自分に娘がいて、その娘がいつか母親になった時、いろんなプレッシャーに黙って耐えて、場合によっては心を病んでしまったりという可能性を想像してみてください。あるいは息子でも、自分達のような夫婦の関係性を見て育って、息子が将来結婚した時に、どんな夫・父親になるのか?母親だから、とひたすら抱え込んで頑張る、あるいは父親だからと言って家庭では一歩引いて仕事に没頭することよりも、自分の子供たちには、ちゃんと夫婦で話し合えて健全な関係を築くことができたり、子育てを楽しんでほしい、と思うなら、まずは自分がお手本になれているのか、一度振り返ってみるのもいいかもしれません。


私が勉強したthe Life Coach Schoolでコーチの指導をしているRae Tsai氏が、“Asian Life Coach Collective”という、アジア人コーチをインタビューする形式のPodcast(英語)を配信しています。私も、日本で感じる男女格差について、アメリカの企業で男女格差の解消に携わっている日本人女性のマキノ氏と共にインタビューしていただきました。先日それが配信されたので、英語ではありますが、興味のある方は聴いてみてください。

https://podcasts.apple.com/us/podcast/breaking-through-gender-stereotypes-in-asian-society/id1604089725?i=1000555789607


それから、今日紹介した内容の一部は、心理学者のRick Hanson氏がKatrina先生とのインタビューで語っていたことで、私のPodcast「医師のための減量コーチング」第7話で日本語で紹介していますので、そちらもよろしければ聴いてください。

https://www.podbean.com/pu/pbblog-g93dp-abf310

体調不良のとき

こどもが集団生活で感染症を持ち帰ることは日常茶飯事ですが、親もそれをもらってしまうことだってあります。いくら感染予防の知識があっても、きちんと実践するだけの余裕がなかったり、添い寝していれば、夜中知らない間に顔が急接近していたり・・・あるいはホルモンバランス、加齢にまつわる様々な...